不耕起稲作による生物多様性の実現とその体験・理解 8章 まとめ

田んぼの学校

8 まとめ

 農業(稲作)の近代化がもたらしたものは、省力と言いながら実際は不必要な農作業の積み上げであった。田植え機を用いるための大型トラクターによる過剰な代掻きとそのために必要となる強い中干し、田植え機で植えやすい弱小な苗のための殺菌剤・殺虫剤・肥料、地力の低下による施肥量の増加、圃場整備によるビオトープとそのネットワークの減少・・・。この悪循環から抜け出す有効な手段が、今最も望まれている。

 圃場整備が進行する中、個別の水田の環境より農村環境の保全が研究されるようになってきた。圃場整備によってビオトープのネットワークが寸断されてきていることへの反省からである。環境省のレッドデータブックも推進力となり、多くの市民団体が「田んぼ体験」の活動を始めるようにもなった。

 元々不耕起稲作は、稲作の近代化による稲の弱体化を克服するために研究心旺盛な農家のグループが成し遂げた正当な稲作技術である。1998年の大冷害を克服したことで、全国に知られるようになった。県内でも不耕起稲作に取り組む農家が30軒を超えている。日本中の不耕起水田で生物多様性を実現し、佐渡島では朱鷺の餌場のために不耕起水田に冬期湛水している。作物以外の生き物を排除する農法ではなく、生物多様性の中で行われむしろ活用する農法である。時代は環境の世紀と言われ、不耕起稲作が本来の農村環境を取り戻す手段として現時点で唯一であると考える農家が増えてきている。

 これまで、農業問題と環境問題は切り離して考えられてきた。農業問題の中での環境に関わる議論と、環境問題の中での農業に関わる議論とは別の場所で行われることが多く、接点を持ちにくい。「田んぼの学校」研究会が言う、「田んぼや水路、ため池、里山などを遊びと学びの場に活用する環境教育」という発想は、現時点での農業問題の側からも環境問題の側からも出てこない。滋賀県の農政課環境部が言う「田んぼの学校」の目的は農業体験である。小学校5年生の教科書を見ても、農業問題は食糧問題として扱い、環境問題では農業(稲作)は一切扱われていない(資料5)。行政は、農業の多面的機能を謳いながら具体的政策の中に反映されないのが残念である。農業の環境負荷をはっきり示した上で環境問題として農業や食料を扱う姿勢が必要である。

 圃場整備された水田での慣行稲作による「田んぼの学校」では、ビオトープとは程遠く農業体験しかできないという事情がある。また、地域環境の問題として農業・農村を捉えることのできる市民団体などのサポートが得られるかどうかで、その内容を大きく左右してしまう。「田んぼの学校」の支援は、決して技術支援ではないからである。近江八幡市立北里小学校と「メダカの学校」小田分校が共に取り組んだ「田んぼの学校」は、この学区の地域環境の中で理想的な形で行われたと考える。どのような教育効果があったのかを確かめるすべはないが、五感で感じ取れるような体験はその後の知識理解を支える基礎になるはずである。

 不耕起稲作は万能ではない、ネットワークを完全に絶たれた環境に不耕起水田を持ち込んでも、ビオトープとしては不完全である。その地域で絶滅した生物種が復活するわけではない。全国の不耕起水田で生物多様性を実現しているのを見ると、圃場整備された環境の中でごく限られたピンポイントに生き物が生息している様子がうかがえる。絶たれたネットワークをカバーする物があれば、不耕起水田のような場所が数を増やせば、新しい形で農村環境を取り戻せるのではないだろうか。

 水田による負の生産物(栄養分の流出、有害ガス(メタンガスや硫化水素)の放出、残留農薬による食の危険性)、正の生産物(浄化能力、温暖化ガスの吸収、安全な食の保障)がきちんと研究された上で、農業の多面的機能が議論されることを期待している。土地改良法の改正は「環境との調和への配慮」に留まっている。農学や生態学、生物学、化学、物理学などがそれぞれの領域を越えて議論されるのを待たなければならないのかも知れない。

 学校現場においては、しが5つの教科書で言うところの「田んぼの学校」やナタネ栽培をお荷物扱いしているケースがある。「栽培技術の不足が「田んぼの学校」の障害になるのではないか。」あるいは「農業なんか教わってもいない。何でこんな勉強せんといかんのか。」という間違った認識がある。行政が行っている教員研修も栽培技術に関わるものが中心である。「田んぼの学校」は農業技術を学ぶものでも、収穫量を競うものでもない。私が「田んぼの学校」に関わる人たちに伝えたいのは、

 「イネは何千年、何万年の生育歴と物語をもっているのです。自らが育ち、子孫を残す、たくましい力をもっているのです。その育ちの中から学ぶのは私たちの方です。」 ということだけである。このことを教員や子どもたちに伝える『学校における「田んぼの学校」のシステム』を開発することが、私の最終的な目標であるが、これは未だ完成していない。滋賀県の「田んぼの学校」推進事業は、後2年を残している。この事業が終了するまでに完成させることを今後の私の課題として、この論述を閉じる。

参考文献

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宇根豊・日鷹一雅・赤松富仁(1989.8.31)田の虫図鑑-害虫・益虫・ただの虫-,農村漁村文化協会

守山弘(1997.6.30)水田を守るとはどういうことか,農村漁村文化協会

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古野隆雄(1997.11.30)アイガモ水稲同時作,農村漁村文化協会

宇田川武俊(1999.1.25)自然農法への転換技術,農村漁村文化協会

小澤祥司(2000.9.20)メダカが消える日,岩波書店

民間稲作研究所(1999.10.30)除草剤を使わないイネつくり,農村漁村文化協会

滋賀自然環境研究会(2001.12.20)滋賀の田園の生き物,サンライズ出版

日鷹一雅 水田の生物多様性とその生態学的機能,愛媛大学農学部ホームページ

環境保全型農業研究連絡会ニュースNo.41.1997.3.26.

滋賀県庁ホームページ:http://www.pref.shiga.jp/

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北海道農業試験場(2000)寒地の乾田直播栽培適地判定のための支援マップ,北海道農業試験場ホームページ研究成果情報,http://www.affrc.go.jp/ja/db/seika/data_cryou/h12/cryo00004.html

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滋賀県(2001.3)しがの農林水産業平成13年(2001年),滋賀県

滋賀県立琵琶湖博物館による気象データ

滋賀県農政課企画・環境担当による提供資料

近江八幡市環境課による河川水質調査データ

仙台市科学館による水田のリモートセンシングのデータ

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