不耕起稲作による生物多様性の実現とその体験・理解 4章 不耕起稲作による「田んぼの学校」

田んぼの学校

4 不耕起稲作による「田んぼの学校」

 水田に常時湛水しビオトープ化する取り組みの報告をホームページ上で見受ける。水田の半分を常時湛水のビオトープとし、あと半分に慣行農法による稲作を行う「田んぼの学校」の取り組みがある。ビオトープと稲作とを別のものと扱うことは間違いである。稲作を犠牲にしたこの方法は、農家には受け入れにくくむしろ消極的に思われる。

 不耕起水田は田んぼそのものがビオトープとなり、ネットワークを構築できる。中山間部における「田んぼの学校」は別として、圃場整備が完了した農村環境の中では、不耕起稲作の他に有効な方法が見当たらない。私は、アイガモやコイ・フナを意図して入れるのではなく、その地域の元来あるがままの生物多様性を体験し学ぶことが大切だと考えている。

4-1 近江八幡市立北里小学校が取り組んだ「田んぼの学校」

 多くの学校が、県の推進事業や市町村の農政課、JAなど農業関連団体の応援を受け、学校主導で「田んぼの学校」を実施している。学校主導と言いながら、技術的には応援者主導となり内容の多くを応援者にゆだねているものと推察する。

 近江八幡市立北里小学校では、地域の市民団体「メダカの学校」小田分校が主導で企画・運営している「田んぼの学校」に学校が参加するスタイルを取っている。私は、この「メダカの学校」小田分校のスタッフとして、この「田んぼの学校」に参加した。スタイルは「メダカの学校」主導であるが、学校にできないことだけを「メダカの学校」が応援してきた。事前の打ち合わせでは、「田んぼの学校」の本来の目的である環境学習をねらいとし、単に農業体験には終わらせないことを、確認している。また、この農業体験ではない「田んぼ体験」から広がる子どもたちの興味関心を総合的学習の時間に深めてゆくこととなった。「田んぼの学校」は、田んぼだけで行うものではなく、教室での広がりを持たなければ意味がないと考える。

 水田は、「メダカの学校」の会員が提供することとなった。30aの水田すべてを不耕起栽培で行い、その内の10aを「田んぼの学校」に用い、北里小学校には0.5aが割り当てられた。児童1人当たりの受け持ちは0.6m×5mとなる。この面積は、農作業のための時間を短くし、水・空気・土・生き物にゆとりをもって触れるためである。また、各自の受け持ちの場所にはネームプレートが立てられた。このため、子どもたちはそれぞれの創意工夫をすることになり、その後の観察への意識を高めることとなった。

 稲の品種は、コシヒカリである。両者の打ち合わせが新学期になってからとなるため、苗の提供を受ける時点では選択の余地がなくなってしまう。コシヒカリでは、稲刈りが2学期早々になって事前学習のゆとりがない。田植えや稲刈りの予定が、学校で決められないのは問題が残る。立ち上げの時期と共に今後の課題である。

 田植え、田んぼの生き物調べ、田んぼの先生のお話、ヌカまき、田んぼの草調べ、稲刈り、脱穀、籾摺り、わら細工、環境フェアの壁新聞発表(図4-1-1、図4-1-2)、『「田んぼの学校」シンポジウムへの参加』が大まかな取り組み内容である。生き物調べや草調べなど環境学習を意図した時間が用意されたが、不耕起水田の豊かな環境では、あえて意図しなくても子どもたちの感性は多くの発見や探求をもたらしていた。

 「土が温かい」「この田んぼは生きている」「この田んぼはにぎやか(何か聞こえる)」など、五感を伴う子どもたちの表現が目立った。「みんな、聞いてみ なんか聞こえる。となりの田んぼは何にも聞こえへんのに。シー」担任教師や私のような大人には気付けないでいたことだ。「いっぱい聞こえる。」これほど「田んぼ」に馴染む表現はない。「頭でっかちになりがちな環境学習をこちらに近づけてくれたのは、指導者ではなく子どもたちでした。」担任教師は、しみじみと話してくださった。佐野教諭は、「田んぼの向こうに世界が見える!」というテーマで、総合学習をまとめられ研究授業を実施された。

4-2 「メダカの学校」小田分校が取り組んだ「田んぼの学校」

 学校特に小学校は、地域の文化センターとしての役割を担ってきた歴史がある。総合的学習の時間が始まり、小学校と地域のつながりが重要になってきているが、そのつながりが希薄になってきているのもまた事実である。子どもたちに自分たちの生活環境を学ばせるために、今ほど地域の文化を支える人材が必要な時代は他にない。

 北里小学校での「田んぼの学校」が成功しているのも、「メダカの学校」小田分校の熱意あるサポートのおかげである。水田や資材、労力の無償の提供は中々できるものではない。「みんなが自分の町を愛し、楽しく暮らせればそれでいいのです。」というのがモットーのまさしく地域に根づいた市民団体であるから、環境学習としての「田んぼの学校」の活動が自然にできてしまう。

 以下に1年間の取り組みの概要をまとめる。

2002年4月 開校 いよいよ始まりました 田んぼの学校小田分校。

ところで不耕起栽培ってなーに?

 簡単に言うと、普通の田んぼは田植えの時に代かきといってトラクターで土を耕しますが、この不耕起栽培にはその作業がありません。前年の稲株が残った状態のところへ、耕さないでそのまま田植えをする方法なんです。代かきの時に出る濁水(田んぼの栄養分)を外へ捨ててしまわないので、環境にも優しくて私たちの大切な琵琶湖を、富栄養化から守ることにもつながります。また、土の中にいるたくさんの微生物が働いてくれるため、自然の力で稲が育ち農薬をほとんど使わなくてよくなります。そのほかにもいろんなメリットがあるんですが、実は私たちも今回が初めての試みなんです。

さてさて、うまくいきますかどうか。

さあ、みんなで一緒に勉強しながら育てていきましょう!

春を待つ まずは、慣行の田んぼ(今までどおりの栽培方法)と不耕起栽培の田んぼ(耕さない栽培方法)をくらべてみよう。

 他の田んぼに比べて、ここだけが秋のままの状態で残っているので、そばを通る人はみんな不思議がっています。それだけ不耕起栽培というのは、まだ市民権を得ていない(みんなにあまり知られていない)栽培方法なんです。この無謀とも思えるわれわれの挑戦は、果たして成功しますかどうか?

(大切な水) 水田と書くだけあって、田んぼには水が欠かせません。不耕起栽培にとっても一番大切なのは水です。慣行田では稲株の分けつ(株が分かれて増えていくこと)を止めるために、夏場に土用干しといって田んぼの水を一時期止めてしまいますが、不耕起栽培田では、この作業をせずに秋の収穫前まで水を張り続けます。だから、いかにその水を田んぼに蓄えて漏らさないかが大きな鍵を握っているのです。昔の田んぼの水は、上流の川から緩やかな勾配で流れてきた水を田んぼへ入れて、その排水をまた次の低い田んぼへ流すというふうに、無駄なく使われてきました。もちろん代かきなどの排水の際に出る田んぼの栄養分も、次の田んぼへ吸収されていったので実に効率的な水利用でした。ところが、現在では田んぼの水は家庭の水道と同じくバルブをひねるだけででてくるようになりました。琵琶湖の水が、ポンプで送られてくるのです。おかげで降水量の少ない時期も、水の切れる心配がなくなりました。この便利な水は、1960年代から80年代にかけて農業基盤整備事業~土地改良事業(現在農業農村整備事業)として行われてきた湿田の乾田化にあります。これは、汎用耕地化といって田んぼを米以外の作物(麦や大豆など他の穀類)への転作ができるようにし、つまり水田を畑としても利用して穀物の自給率をあげられるようにしました。農業は機械化され、さらに大型化されて、昔のような重労働から解放されたのです。しかし、便利になったと喜んでばかりはいられないことも実はあるんです。1年を通じて水が流れていた水路は、排水としての機能しかなくなり、稲作の終わる時期にあわせて田んぼの給水も止まってしまいます。水の無くなった水路には、メダカやドジョウ、カエルやフナなどの田んぼを行き来してきた生き物たちは、すむことができません。おまけに乾田化された田んぼには、暗渠排水を設置したため排水路が更に低くなり、生きものの行き来ができなくなってしまいました。環境保護と農業との共存を考えるうえで、今後の重要なポイントとなるところだと思います。幸いなことに私たちの住む小田町の田んぼには、日野川からの用水が現在も流れていて、田んぼの排水路にも1年中水があります。おかげでメダカをはじめとした多様な生きものが越冬して生息しているのです。70㎝クラスのナマズまでいるんですから・・・。どうぞこの環境をみんなで守っていってほしいと切に願っています。

(準備) さて、水の大切さがわかったところで、その水をいかにして長持ちさせるか。土の中にいるドジョウやミミズを食べにきたモグラたちが、田んぼの畦のあちこちに穴を空けています。これでは水持ちがしません。そこでみんなでアゼシートの設置をすることになりました。

 田んぼの周囲の漏れそうな部分をL字型に約130mにわたってアゼシートを設置しました。その後、水漏れの実験です。暗渠排水を塞ぎ、尻水戸(排水口)をせき止めました。丁度その日は揚水ポンプの運転日で、約6時間ほどで水張りが完了し、水深10㎝の水が停止してから約3日でほとんど無くなってしまいました。まあこんなもんでしょうか。

畦塗り(あぜぬり) 不耕起栽培で大切な水の確保。でも、生きものと共存する以上、モグラや野ネズミなどが開けた穴からその大事な水が漏れてしまうことも日常のことです。そこで水漏れ対策として新兵器登場です!その名も”アゼヌリ機”です。トラクターの後部に付けた機械でなんともうまく畦を塗ってくれるではありませんか。いやはや、人間は楽をするためなら何でも考え出すものですね。

草刈り さて、お次は草刈りです。不耕起栽培に草は付き物。でも、植えるときに草がいっぱいだと苗をどこに植えたのか?その後の観察にも影響がでます。い草の仲間「ホタルイ」のような強情な草までがたくさんあり、手で取っても追いつきません。

 そこでまた文明の利器。”草刈り機”の登場です。なんとまあ、見る見るうちに草いっぱいの田んぼが一面きれいに刈り取られていきます。そして、草刈り機の後に続いてくるのはサギなどの野鳥たちです。草むらの中には、春になって出てきたカエルや虫たちがたくさんいます。それを食べようと鳥たちが後に続きます。

 最近見かけなくなったタイコウチなんかもいましたよ。せっかく刈り取った草が今のうちに分解してくれるように、早速水を張ってみました。1週間もするとこんなにも生きものが水面に浮かんできました。モノアラ貝が大量に浮かんでいたり、何かの幼虫なのか?ナメクジの親戚なのか?正体不明の生きものがいました。

 さて、これはいったい何なんでしょうか?ちなみに、田植えを控えたこの時期、慣行の田んぼでは代かき作業の真っ最中です。ここが不耕起栽培と大きく違うところなんです。

比重選 桜の便りが聞かれると、いよいよ苗作りの始まりです。苗作りは、まず種まきから始まりますが、その種を選別することが不可欠です。今回私たちが使った種は、昨年不耕起栽培で収穫された「コシヒカリ」を分けていただいたものです。種まきに使うその種もみを選別する行程を比重選(ひじゅうせん)と呼び、よく実った良質の種を選び出すことで、病気やその後の収穫にも影響します。選別の方法にはいくつかあるようですが、一般的には塩水を使った塩水選(えんすいせん)が用いられます。種もみを一定の濃度にした塩水の中に漬けて、浮いた軽いもみ(中が十分に実っていない)を取り除き、下に沈んだもみを種まきに使います。

 さすがに昨年の不耕起栽培の種は出来が良かったらしく、ほとんどが沈んでいました。沈んだ籾種からは、丈夫で病害にも強い苗ができます。

種子消毒 塩水選にかけた籾種をよく水洗いし、今度は消毒します。苗の病気を防ぐため欠かせない工程ですが、できるだけ薬は使いたくないので今回は、天然資材である木酢液(炭焼きの際に煙からでる液で、野菜や花の消毒や、お風呂に入れて皮膚病にも効果があると言われています)を500倍に薄めて消毒しました。

浸種 消毒が済んだら、次は籾種に水分を与えて発芽条件を揃えるために浸種(しんしゅ)を行います。本来籾種自体が発芽を抑えるためにホルモンを出しており、(アブシジン酸などの抑制ホルモン)それを洗い流して発芽条件を整えてあげます。浸種の間は、2日に1回水を換えて(酸素不足を補う)日陰におきます。

催芽(さいが) いよいよ条件が整ったところで、籾種を長い眠りからさませてあげます。催芽機というものもあるようですが、うちには無いのでこれまでの育苗機を使用して行います。

写真ではわかりにくいですが、丸い鳩胸状態です。次はいよいよ種まきです。

田植え その1 (5月20日) いよいよと言うか? ようやくと言うか? 待ちに待った田植えがやってきました。周りの田んぼは、ほとんどがゴールデンウイーク中に植え終わっていますが、不耕起の田植えはこれからが本番です。い草取りもようやく済んだので、気持ちよくこの日が迎えられました。

 苗はすっかり成苗となり、5.0葉期をむかえていました。最初に播いて発芽が不ぞろいだった苗も、日当たりの良い場所に変えたりしたことによって、無事に太くて丈夫な苗になりました。あわてて種まきをし直したため、苗は十分な量あります。発芽からおよそ30日を迎えた2回目の苗も、温暖な気候のおかげで5枚目の葉が出ています。

 さて、田植えが始まりました。早くから水をはっていたせいか、結構表面はやわらかくなっていました。ところで不耕起栽培は、普通の田植え機とはちょっと違うんですが、わかりますか?答えはコレ!田植えの爪の前にこんな仕掛けがありました。普通の田植え機は、代かきしたやわらかい土に植えるので爪が苗をとっては植えるだけですが、この不耕起の田では土の表面が硬いため苗がうまく植えられません。そこでこの小型のロータリーみたいな爪で植えるラインだけすきこんで、土をやわらかくして苗を活着しやすくするわけです。なるほど良く考えたものです。田んぼのかたわらには、たくさんのオタマジャクシや豊年エビなんかもいましたよ。

田植え その2 今年度、近江八幡市立北里小学校5年生児童が、この不耕起栽培田のお米づくりに「総合的な学習の時間」で参加してくれることになりました。ただ苗を植えてお米を収穫するだけでなく、その間にいろんな生きものの働きや関わりがあることを、この不耕起田で一緒に学習しようというものです。 普通の田んぼと違う「不・耕・起」の勉強をしてから、51人の児童が、日本初?不耕起田の田植え体験をしました。今回、3反(30a)の田んぼのうち、わずか120㎡ですが51人の児童が一人あたり5mを2列ずつ植えて、苗の成長や生きもの、他の植物調査などを行います。

 圃場が硬いため子どもたちは、鎌で植える場所をほじくり1本ずつ丁寧に植える子もいれば、10本くらいの束で植えて苗が足らなくなる子もいました。さて、秋にはちゃんとお米が収穫できますかどうか・・・?1人2条ずつ植えた苗にそれぞれ名札を立てました。これから自分の苗として育て、生きものと共に観察していきます。

除草作業 私たちの目指している不耕起栽培は、できるだけ農薬や化学肥料に頼らない農業として、自然の恵みを生かしてお米を作ろうというものです。昔はこの除草作業が、大変な重労働でした。いくらとっても次々生えてくる草に対して、その負担を少しでも軽くしようと除草剤などの農薬が使われてきたのです。もちろん人体に影響のない範囲の農薬なのですが、虫が死に草花が枯れるような薬が人間にだけ何の影響もないわけがありません。何よりその農薬を扱っている農家の人が、一番最初に影響を受けるはずです。

 このようなことから、私たちは「米ぬか」による除草をすることにしました。みなさんご存じのとおり、米ぬかはお米を精米(玄米を白米に)する際にでるもので、ぬか漬けなどの漬け物に使う程度で、あまり利用されていません。この米ぬかをまくと、やがて水中で発酵します。水の中が発酵により酸素欠乏となって、草の新芽が枯れてしまうといったしくみです。もちろん全ての草が枯れてしまうわけではありません。嫌気性といって酸欠状態を好む植物もありますが、ある程度効果があるようです。それに米ぬかには栄養がいっぱいで、田んぼに返してやることによって田んぼの生きものも増え、また苗にも肥料の代わりになるのです。こんなにいいことずくめの米ぬかを使わない手はありません。

 米ぬかは、本来粉末ですがこの日使用したものは、散布しやすくペレット状にしたものです。1反に約1000㎏散布しました。

 散布から2週間、米ぬかが発酵して水面にもぬかに含まれる油分が油膜となって浮いています。それにしても発酵って クサ~イ! いかにも効きそうです。

 慣行田はすでに、かなりの分けつをしています。不耕起田はこれからです。今後の成長を記録するため、1本植えの苗を10株を定期的に観察することになりました。

分けつ期 6月に入って晴天が続き、苗も順調に成長しています。苗はこの時期、1本の苗がいくつかに根本から分かれて、増えていきます。これを分けつと呼びます。慣行の田んぼはそろそろこの分けつも終盤を迎えているため、中干しという工程に入ります。そのまま水を張り続けると、無効分けつといって穂のつかない無駄な株が増えてしまうため、田んぼの水を落としてこの分けつを止めるのです。これを中干しといいます。中干しにより地面がひび割れています。しかし、私たちの不耕起栽培苗にはこの工程がありません。耕起していない硬い田んぼに、強い根をはってゆっくりと分けつをしていくので、無効分けつがありません。秋の刈り取りの寸前まで深水を続けます。右の写真は不耕起の田んぼに多く現れる「サヤミドロ」という藻(も)です。硬い繊維質のこの藻は、田んぼ一面に広がり雑草を抑えたり、田んぼの肥料としてはたらきます。不耕起の苗もそろそろ分けつが始まりました。前回は除草目的で米ぬかをまきましたが、今度は分けつ肥として米ぬかをまきます。

幼穂期(ようすいき) 6月の末頃から、朝夕の時間帯になるとすごくたくさんのツバメが、不耕起の田んぼの上を飛び回ります。隣の田んぼへ行ったかと思うとまた旋回して、何度も何度も不耕起田の上だけを低空飛行で飛びます。また、サギやカモまで時々顔を見せ、エサをついばんでいます。それだけたくさんの虫たちがいるという証拠でしょうね。

7月3日 不耕起の田んぼもそろそろ幼穂形成期を迎えます。この時期苗が穂をつくる、つまりお米をつくる準備をはじめるのに一番栄養を必要とする時期です。お米の入れ物となる籾殻の大きさなども、この時期の肥料のやり方に左右されます。あまり早くやりすぎると、木ばかりが大きくなって実ができずに倒伏してしまいます。

 私たちの不耕起田には、米ぬかをまくため肥が効いてくるのが少々時間がかかります。そこで幼穂が出かけた今穂肥をまくことにしました。

 最初は幼穂を見て、穂肥の説明です。その後、北里小学校5年生のみんなが、自分たちの植えた苗にそれぞれ米ぬかをまきました。前回使用した米ぬかをペレット状に加工したものを使いました。 最初は田んぼに入るのをイヤがっていた子たちも、ほとんどが裸足で入って「ヌルヌルする」とか「あったかーい」とか、いろんな声が田んぼに響き渡っていました。実際に田んぼに素足ではいることによって、土や生きものを肌で感じることができて良かったと思います。みんな、暑い中ご苦労様でした。

草調べ 台風6号の通過した翌日、さわやかな天候に恵まれて北里小学校5年生のみんなが、不耕起田での草調べをしてくれました。

 昔ながらの手押し草取り機を前にして、みんな興味深げでした。さて、いよいよ田んぼに入って、田んぼの草調べです。各自1条ずつ歩いて生えている草をとって調べます。中には袋に入りきらないほど採る子もいました。

 手押しの草取り機も大人気で、みんな交代で体験しました。昔はこんなに大変な作業でお米を作っていたので、今日のように除草剤にたよる農業になってきたのでしょう。でも、不耕起栽培はサヤミドロのおかげもあって、草の種類はほとんどがホタルイだけです。なかにはコナギなんかもありますが、大量に発生したモノアラ貝が食べてくれているようです。 草の他に、田んぼの中には見つけただけで5種類もの藻が確認されました。生きものだけでなく、植物も多様に発生している不耕起栽培には、まだまだ未知の姿が隠されているようです。みんなが草を採ったり、田んぼの中を歩いてくれたおかげで、雑草もかなり減りました。

稲穂の開花(いなほのかいか) 7月26日、とうとう稲穂の開花が始まりました。

 稲の花が咲き、午前中のほんのわずかな間(10時頃から12時くらいまで)に授粉して、いよいよ次はこの一粒ひとつぶにお米が実っていきます。足下には今もサヤミドロと浮き草が一面に広がっています。

 田んぼは虫たちの宝庫です。稲を枯らす害虫もいれば、そんな害虫を食べるクモなどの益虫もたくさんいます。そして、その虫たちを食べるためにまた鳥たちがやってきます。

 そんな虫たちは、小さな田んぼの中でお互いにバランスを保って生きています。害虫だからといって農薬を使って殺してしまうと、その薬に耐性をもった害虫が現れて、更に強い農薬が必要になるのです。毎日食べるお米が、そんな強い農薬にまみれていては、害虫に効くはずの農薬がそのうち人間に効いてしまいます。私たちは、いつの間にか虫も食べないお米や野菜を好んで食べているのです。形や見てくれよりも、もっと大切なものがあることに、早く多くの人が気づいて欲しいものです。

収穫(稲刈り)1 今年は7月にいくつもの台風が通過し、8月に入りとても暑い日が続きました。人間も夏ばてしそうな環境のなか、不耕起栽培の稲はとても元気にすくすくと成長し、見事な穂を稔らせてくれました。さて、いよいよそのお米を収穫する時期がやってきました。

 4月の種まきから今日まで、たくさんの生きものをはじめいろんな発見がありました。不耕起栽培によるお米づくりの体験を通して、私たちだけでなく地域のみなさんにも一石を投じたのではないかと思います。

 稲刈りの前に、田んぼへ入りやすくするため田植え以来初めて排水口を開け、これまで満々と湛えてきた水を排水します。田んぼへ入っても大きな足跡がつかなくなるまで、排水開始からおよそ2週間かかりました。水が無くなった田んぼでは、残った水たまりを最後まで求めて息絶えた小魚(フナ等)の姿や、排水と共に水辺へ出ていけなかった虫たちがあちこちに姿を現しました。田んぼ一面に繁殖していたサヤミドロも、白く乾きマットのように土の表面を覆っています。その上に見える茶色い粒は、モノアラ貝の死骸です。これらは全て土に還り、また田んぼの栄養となってくれるのです。

 稲刈りの前に、稲の生長について復習し、鎌の使い方など説明を受けます。

 刈り取りの開始です。みんな自分の名札の立っている稲2条を刈り取っていきます。不耕起栽培独特のヨシのように硬い茎と、慣れない鎌とで、みんな大騒ぎしながら汗を流していました。刈り取った稲の葉っぱを利用して1つに束ねたり、それができない子はビニールひもで縛ったりして、それぞれの名札をつけて学校へ持ち帰りました。 ヨシのように硬くて太い不耕起の稲株は、切るときに「ザクザク」ではなく「ガリガリ」という音がします。刈り取った稲は、軽トラックに満載されました。いざ学校へ!

収穫(稲刈り)2 不耕起の田んぼには、稲と共にたくさんの生きものが生まれました。刈り取りの最中にも、ヤゴの抜け殻やザリガニなど、たくさんの生きものが共に育ってきた痕跡があちこちに伺えます。田んぼ中にいくつものザリガニの穴を発見 みんなが刈り取った後は、現代の機械化された農業の一面も見てもらいました。コンバインに乗っての刈り取りに、子どもたちはすごく興味があったようです。

 さて、小学校の刈り取った稲は、小学校へ持ち帰りフェンスにかけて天日で干します。このあと脱穀、籾すり、精米の工程を経てようやくお米(白米)になるのです。

脱穀、選別 刈り取った稲をハサ掛けして、あれから一週間が経ちました。天候も良く、作業にはうってつけの日となりました。さて、今日の作業はといいますと、稲に付いたモミをはずす作業、脱穀作業を行います。

 稲に付いている時は穂と呼び、脱穀すると籾と呼びます。その籾の皮をむいた状態が玄米であり、それを普段みんなが食べている状態に精米したものを白米と呼びます。こうしてお米はどんどん形と共に名前が変わっていきます。また、この精米の段階ででてくるものが糠であり、今回私たちが田んぼに除草や肥料の目的で散布してきたものです。

 脱穀や精米の仕組みを、いろんな道具を使って説明しました。みんなが刈り取った稲は、それぞれ二束ずつ足踏み脱穀機で脱穀し、あとの残りは各自で竹の割り箸を使って、しごいて取りました。苗を植えた時から名札を立てて、自分の稲として育ててきたせいもあって、みんなそれぞれ愛着があるらしく、一粒一粒をすごく大切に扱ってくれました。「早く食べたい!」と、みんな一生懸命取り組んでいます。

 子どもたち全員が一人ずつ、足踏み脱穀機に挑戦しました。足踏みのタイミングが合わず、逆回転してしまう子や、勢いが良すぎる子など様々です。機械化された現在でも、コンバインの中にはこのドラムが入っているのです。

 脱穀した籾を、今度は唐箕を使って選別します。籾を入れたジョウゴから、少しずつ下へ落とし、そこへ手動式の扇風機で風を送り、ワラや軽い籾(中身があまり熟していないもの)などは遠くへ飛び、稔った重い籾だけが下へたまるという仕組みです。昔の機械は本当に良く考えられたものばかりです。これも足踏み脱穀機と同じく、現代の機械に応用されています。次回はいよいよ籾すり、精米へと進みます。

籾すり さて、脱穀が無事すんだところで今度は選別したモミの皮をむく作業「モミすり」です。先日先生から聞いた籾すりの原理を、それぞれが理解したうえで作業にかかりました。みんな思い思いの道具を使って悪戦苦闘していました。 ザルとボールの摩擦でやる子や、すり鉢とすりこ木でやる子など様々です。「お米まで潰さないでね!」と、言いたくなるような子も。

 あとはお家に持ち帰り、各自で容器に入れた玄米を棒などでつついて精米します。これでやっと白米として、いつものように食べられます。つき方が足りなくても大丈夫。農薬を一切使わずに、自分たちでがんばって育てた健康なお米なんですから。(玄米の方が栄養がたっぷりあるよ)子どもたちの中には「あれだけたくさんあったお米(モミ)が、たったこれだけ(玄米)になってしまったよ」との声がきかれました。大事なお米だから、残さず食べてね!

レンゲ畑 政府のすすめる減反政策が、私たちの不耕起田にも押し寄せてきました。このため来年度は、この田んぼでの稲作を他の穀物や野菜づくり等に切り替えなければなりません。

 せっかく生きものが生まれ、育ち、活力を取り戻した田んぼを、また耕起して元の乾田に戻してしまうことは決してしたくありません。そこで思いついたのが、昔から緑肥として用いられてきた「レンゲ」です。別にハチミツを採ろうというのでもありませんが、最近見ることの少なくなったレンゲ畑の復活です。これで減反のカウントにも数えることができ、春にはレンゲ畑が楽しめます。おまけに緑肥として、田んぼの肥料にもなるのですから一石二鳥、いや三鳥にもなるでしょう。

 じゃあ来年のお米は?ご心配なく。他の田んぼも少しずつ不耕起栽培に切り替えていきます。この1年みんなと学んだことを生かして、すでに来年の不耕起田での土づくりが始まっています。 早速9月の末 切り株や切りワラの残る田んぼ、30アールに10㎏の種をまきました。

 早速9月の末 切り株や切りワラの残る田んぼ、30アールに10㎏の種をまきました。

土づくり 2002.11.30 政府の奨める減反政策の煽りを受けて、2003年度の不耕起栽培田は別の田んぼに移すことになりました。2002年度の不耕起田は、現在レンゲ畑(減反)として充電期間に入っています。来年度は一休みして、生きものの宝庫に育てることにしました。場所が変わったら、早速土づくりから始めます。この日は、メダカの学校小田分校のみんなが竹炭づくりで汗を流した後、来年度の不耕起田に米ぬかをまきました。

 冬の間にまいた米ぬか(およそ300㎏)が、微生物の働きによって発酵し、分解されて土の栄養となってくれます。田んぼで穫れたものは、田んぼへ返すのが一番です。田んぼに残った今年の稲株も、発酵の際に働く微生物に分解されて春にはポロポロにくずれてしまうというオマケつきです。新しい不耕起田での稲作は、もう始まっています。

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