日本の米

在来種からの選抜

 米の検査がなかった江戸時代、それぞれの地域に在来の稲が存在し、それぞれの地域の気候や土壌などの環境に適合した稲が栽培されていました。品種改良は限られた篤農家に委ねられており、在来品種の中からより優れたものを選抜育種することで稲の性能の向上が図られていました。

日本の米の三大品種

 明治の初期多くの選抜育種が行われ、西日本は神力(しんりき)、関東は愛国(あいこく)、東北は亀の尾(かめのお)が米の三大品種となります。神力は後に旭1号(あさひ)に代わられ「西の旭、東の亀の尾」と言われるようになります。

神力旭1号愛国亀の尾
兵庫県 丸尾重次郎京都府 山本新次郎静岡県 高橋安兵衛山形県 阿部亀治
1887年(明治41年)
程良から選抜
1908年(明治41年)
日の出から選抜
1882年(明治15年)
身上起から選抜
1893年(明治26年)
惣兵衛早生から選抜
多収、耐肥、耐倒伏大粒、良食味多収、耐冷耐冷

現在の米の品種

 戦後、化学肥料や農業機械が導入されると、品種改良により新たな品種に取って代わられることになりますが、これまでの三大品種の掛け合わせによりそれぞれの良いところが引き継がれました。

コシヒカリとササニシキの系譜

 1993年の冷夏による米騒動はまだ記憶に新しいところです。東北は冷夏の影響で米の収穫が激減し特にササニシキが大きな打撃を受けました。以来、ササニシキの栽培を避ける農家が増え、ササニシキはほとんど流通しなくなりました。高アミロース米の代表格のササニシキがなくなると、コシヒカリ系の低アミロース米が好まれるようになり流通米の主流となります。

【追記】1993年の冷夏において、不耕起稲作が平年並みの収穫を得たことで、不耕起栽培が一般にも知られるようになります。

見直したい古い米

 現在に至り、低アミロース米の栽培に傾斜し、化学肥料の多投で多収穫をめざす農業が何をもたらしたのでしょう。米に粗雑なタンパク質を生成し、アミロペクチンとも相まって、米アレルギーを誘発しているのではないでしょうか。何の検証もなく飛躍した考えですが、当たらずとも遠からずでしょう。

 種々考えた結果、旭1号の栽培を10年以上継続しています。耐肥性が弱いという性質は、逆に考えると無肥料栽培に向いているということです。肥料ではなく土の力・生き物の力で実った米は、人の体にとても優しいのです。

 雑種の犬や猫が強いと言われるのと同じように、古い品種は気候変動にも強いと感じています。品種としての性質のばらつきが大きいために、生育環境の変化に対応できるのだと考えます。

 なお米アレルギーについては、投稿の【米アレルギーを考える】を参照してください。